消費税減税は「つなぎ措置」——本丸は給付付き税額控除
令和8年8月4日、高市内閣は、食料品の消費税を、2年間に限り、1%に減額する、と閣議決定した。
税制史上はじめての消費税の減税、このニュースばかりが注目されるが、これはあくまでつなぎ措置であり、いずれは「給付付き税額控除制度」に移行する、が本丸だ。
ともあれ新しい消費税制の舵を切った。
政府が考える「給付付き税額控除」自体(というか、もともと野党たる民主党=中道連合の提唱ではなかったか?)、どういうものかはっきり知らないなかで、知ったかぶって意見を言うのはどうかと思うが、以下、実務面からの疑問を、経験を交え、陳述したい。
対象者をどこまで把握できているのか
政治家の「指示」だけで実務は回るのか
政治家にとって、社会的弱者に目を向け、その層を救うことを使命とすることはすばらしいことだ。
社会の公平性の観点はあるが、担税力のある所得の高い者には負担を求め、所得が低い者たちには給付を、という考え方も一面、悪くはないだろう。
だから、よく政治家は、官僚に向かって、低所得者救済策を「指示」しました、という。
しかしながら、実務面で、「指示」だけで、事は簡単に納まるのか?
具体的には、その弱者を、政府は、どの程度把握できているのだろうか?
それとも、マイナンバーの普及とともに、国民の個人々々の所得、財産を、はっきり捉えられるようになってきたからこそ、舵をきったのだろうか?
それならば堂々と発表すればよいではないか。
所得だけでなく財産の把握も必要ではないか
所得の高い者については、課税庁が、申告納税制度のなかで、具体的に、ほぼ把握できているだろう。
だが、申告を要しない方々、もしくは自主的に申告をしない方(悪い意味で)について、政府や自治体はどの程度実態を把握できているのか?
具体的には、課税庁はどの程度把めているのか?
もっと言えば、毎年の所得こそ低額だが、もともと財産は多額にお持ちの方についても把握ができているのか?
そうでないと、例えば、所得申告の必要のない、上場会社の配当のみで暮らしている方(相当財産=有価証券をお持ちでないと生活できないはず)でも、給付対象者になってしまう。
会計的に言えば、損益計算書(利益)の把握だけでなく、貸借対照表(財産)の把握も必要なのだが、そこのところを確実に把めているのかが、よく見えてこない。
「徴収」と「給付」、相反する役割を一人が担えるか
一般に、役所の「ショ」でも怖いところは「署」の字を使い、やさしいところは「所」の字を使うといわれる。
お金を徴収する税務ショは「署」の字で、年金を給付する年金事務ショや、雇用手当を配るハローワーク=むかしの職業安定ジョは「所」の字である。
ところが、長年やってきた税理士としての実感では、怖い役所の官吏であるはずの税務職員はひたすら紳士的でやさしく(意気高になることもあるが)、逆に、社会保険事務所やハローワークの窓口ではどちらかというと役所の人間のほうが高圧的で、社会保険労務士先生など、平身低頭しているかのようにみえる。
これは立ち位置の問題で、お金を収めるには、高圧的では集らず、逆に、お金を配るには、甘くではだめで、厳しくなければならないからだろう。
「給付付き税額控除」とは、一定額までは徴収、それ以下となると給付となると聞いている。
役所にとって、今まで税金は、納め過ぎたものを還付すればそれで終わりだった。
これからはその上にたって、いくら給付するかというプレゼントの金額を測らなければならない。
ひとりの人間(もしくは役所)が、「徴収」と「給付」の二面性ある立場に立って、その位置を変えられるものなのだろうか?
厳正に執行できるのだろうか?
評議員としての経験から——低所得者向け貸付事業の現場
私は、かつて、ある社会福祉団体の評議員を拝命していたことがある。
その団体の評議員にはいかにも人格者といった風貌の福祉事業経営者ばかりでなく、多方面の職種が集まり意見を求めるしくみで、そのなか、税理士のワクがあったからだと思う。
その団体では、事業のひとつとして、低所得者層に対する貸付制度があり、特別会計として、一般会計や他の特別会計を圧する多額の予算が使われていた。
それなのに総会では、福祉関係の方々も含め、だれもが質問しない。
スルーである。
本来的に低所得者への貸付は、社会的弱者救済なので、福祉の目的と合致する、いいことと思われていたのか。
しかしながら、「差し上げる」事業ではなく「お貸しする」事業、おまけに返せるかどうか分からない相手に対しての「危ない」事業なのだ。
何人に対し、ひとりいくら貸付して、返済は順調なのか? 貸し倒れはどのくらいあるのか? など、会計専門家として、当然聞かなければならないこと、と思い、質問した。
若い係官は質問あること自体にびっくりしたようだが、とりあえずその場では、答えてはもらえた。
後で考えるに、福祉関係の方は、前提に、社会的弱者を救うかの定義があり、その範囲内で、会計的に破綻のおそれがなければよい、とお考えなのだと思う。
だから事業そのものには問題はないのだ。
逆に、我々会計専門家は、まず健全な財政の運用があり、その範囲のなかでの福祉事業がある。
要は、力点、立ち位置がちがうのだ。
会議後、団体側の方々が、何となく、私の周りに集まってきて、貸付対象者を見つけるためには、こうこう、している、なればこそ、一応、安全と判断している、とか、縷々ご説明いただいた。
「私どもも、この事業には疑問を持っているんです」などの声も聞かれた。
トップがこうせよと指示すれば、官僚組織は従わねばならない。
だが、対象者すらはっきり把握できていないのに、どうしろというのだろう。
給付には確かな制度設計が必要
むかし読んだコラムに、「福祉は、本来、それが必要な方々が、ミニマムしか求めない、という前提で成り立っている。ところが実務面では、必ずしも必要のない方々も、ミニマムどころかマキシマムを求めてしまう。」とあった。
給付するなら、国民が納得する給付対象者、給付方法など、前提がしっかりしていなければならない。
コロナ禍以降とくに、この国の国民は給付慣れしてきて、亊あるごとに、支援金、助成金に目が向く。マスコミも罪悪感なく、その取得情報を取り上げる。じつは我々税理士もコロナ禍下で、その手続きの手助けをしてきた。
だが、国からの給付は、本来、働いても働いても、生活が楽にならない対象者が、さいごの手段として頼るべき「よるべ」のばず。
むかしの日本人は、片腕がなくとも、社会のご厄介には絶対なりたくないと、支援を拒否する方も多かった、と聞いている。
いまや逆に、アメリカ人のほうが、コロナ禍下、定額給付金や無料の食事給付を拒否する方が多かったらしい。
本来、最初から助成金ありきではないはずである。
「給付付税額控除」が、所得が少なくなったら、オートマティックに支援金が給付されるしくみであるならば(実態はちがうかも)、それに慣れてしまう国民には、国家の有りがた味も、税金の存在意義もかなり薄れてしまうような気がするが。
福祉は、最低限必要なものだが、過剰な給付はしない。
それが原則だと思う。
その塩梅がうまくできるかどうか。
しっかりした制度設計がなされるかどうか。
もっとも日本の政府関係者は、私どもには及びもつかない英知をお持ちなのかもしれない。