石坂税務会計事務所

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ブランド力について

ことし3月14日の新幹線開業により、北陸旅行が身近となった。
わずか2時間もあれば金沢にいける。
いまTVの旅番組、グルメ番組は金沢一色。ブームが起きている。

昨年は、京都、金沢と古都を訪れた年だった。
商売の真髄が分かっているのは、古都の商人たちにとどめをさす。
究極の商売とは、かの地を参考にすべし。
いかに東京が世界規模の都市とはいえ、江戸から数えても、たかだか400年。終戦時、焼け野原となり、再生し、拡大し、変貌し続けた。
老舗の商店がほとんど姿を消している東京とちがい、おなじ400年でも金沢には、推測で恐縮だが、ほとんど町並みの変わらない歴史がある。古都の商店は歴史の重みがちがうのだ。
むろん、京都や金沢だって、競争はある。いかに長く続いたって、いま現在だって、倒産する老舗もあるだろう。商売は戦。経済はいきものだからだ。
しかし外からはなかなか競争がはげしいようにはみえない。それこそが古都のブランドだ。

今回はそのブランドについて。

「加賀百万石の城下町」「金沢」の商店という響きだけで、人は、知らず知らずのうちに歴史ある老舗と思い込み、ブランド力を感じてしまう。
日本には小京都と呼ばれるような、古い町並みが残る土地は他にもあるし、歴史ある城下町だってたくさんあるだろう(城下町というが、日本の城郭の建設ラッシュは安土桃山から江戸初期にかけて。時代的にはほとんど同級生でなのだ)。
だが、金沢は百万石、日本各地のなかでも別格のイメージがある。
事実、金沢には茶屋町、大規模な料亭も多い。北陸随一とはいえ、たかだか人口40万ほどの都市で、多くの巨大な料亭の経営が成り立っているのか? じつに不思議だ。

では、「金沢」がいかにして、ブランド力を身につけたのか?
昨秋は、兼六園の南東、天徳院という曹洞宗の古刹を訪ねた。
高野山中に同名の寺院があり、かつてここの宿坊に泊まった経験がある。高野山はむかしは県人別に宿が分かれていたそうで、同名の寺は、加賀の国人、石川県人の専属の宿坊となっていた。高野山上の、土地の狭い高野町では大きいほうの宿泊施設だろう。こちらのほうは高野山内にあるので、むろん真言宗である。両寺に交流はない。
寺が同じ名なのは、両寺院とも、加賀前田家3代目前田利常の、正室珠姫の菩提を弔うため建立され、その遺骨を納めているからだ。寺名は珠姫の戒名である。
この女性は徳川家2代将軍秀忠の次女だった。
豊臣政権末期、前田利家が没すると、徳川家康は天下取りに向け、露骨な行動に出る。加賀前田家は家康から標的とされ、難癖つけられて攻め込まれる寸前までいったが、2代目藩主利長が平謝り、母を江戸に人質に出すなどして助かった。その後標的は会津の上杉に移ったが、こちら上杉家は反発したがゆえ、「関が原」の敗者となり、没落している。
それゆえか前田家は異常に徳川を恐れた。家康の懐刀、本多正信の次男坊を家老職に迎え、ひたすら徳川幕府に恭順の意を示した。3代目利常も江戸城内で鼻毛を伸ばし、馬鹿を装ったという。
徳川の娘を正室に迎えたのもそのひとつ。この女性は3歳で婚約、14歳で結婚、8人もの子供をひたすら産み続け、24歳で早世した。両家の架け橋となり、安定した関係に尽力した。 金沢の繁栄は、幕府との良好な関係の基礎を築いた天徳院あったればこそ、金沢ではそう伝えている。
この人物を加賀前田家は、要は、うまく持ち上げた。つまりブランド力である。

24歳で早世というが、人柄がどうの、知性がどうのという個性を発揮する年齢ではない。
その間、8人ものこどもが次々と産まれれば、ほとんど産屋で過ごした? 人前に姿を見せるその時間もなかったのではないか?
言い伝えは、お人形さん的で、その人物を偲ぶ個性的なエピソードが感じられない。

死後、加賀藩はこのブランドをフル活用する。
むしろ生身のいないほうが都合よく脚色できる。
持ち上げれば持ち上げるほど、加賀藩は安泰なのだ。
加賀は幕府にとって特別な地域という意識が世に広まる。
金沢の権威が生まれる。

寺ではこの女性にちなむ、からくり人形劇を毎日上演している。
すすめられて、そのDVDをひとり見た(来訪者はほかにいなかった)。
内容は、珠姫が幕府隠密(じつは利常の変装)に対し、加賀藩は幕府に逆らう意思が微塵もないと大見得を切るもの。取り立てて大きなドラマでもなく、他国者の目には、何もない内容のものに思えた。
だが、金沢では代々語り継がれ、語り継ぐべき大事な物語なのだろう。

権威に寄り添うことがたいせつ。歴史の権威がたいせつ。
そして日本で唯一「百万石」の城下町。
他の地域とはちがう。
北前船の中継基地、という地の利もあった。物資が流通し、商人がにぎわいをみせた。
紀伊国屋文左衛門と並ぶ大商人銭屋五兵衛もここの出。
芭蕉も滞在した地。豪華な商人文化が根付いた。

しかし、その根っこの部分は?
珠姫の取り上げ方に金沢ブランドの源泉をみた気がした。